冷たい鍋が教えてくれること
ゆっくり温まる鍋でしか学べないことがある。冷たいまま始めた料理人は、熱が隠してしまう前の食材の振る舞いを読むようになる。
ベーコンの一切れを、まちがいなく冷たいステンレスの鍋に置いた ── 金属は室温で、バーナーはまだ点いておらず、鍋の表面は冷たい鍋が光の下でもつ、あの控えめな鈍さを帯びている。これからその下に火を点ける。これは、私が教わったベーコンの始め方ではない。私は、鍋を予熱して、水滴が表面ですべる温度を越えたところでベーコンを置き、置いた瞬間のジューッという音を聞け、と教わった。何年もその通りにやっていた。それから、長く隣で働いた料理人が、誇張するでもなく、── 冷たい鍋から始めたベーコンのほうが、脂がきれいに出て、色が均等につき、丸まらない ── と言った。やってみた。彼の言う通りで、それ以来、私はベーコンを冷たい鍋から始めている。冷たい鍋がベーコン自体の話を超えて私に教えたのは、最初の一節のレッスンが、加熱の始まりにしか与えられない食材があって、すべてを熱いところから始める料理人はそのレッスンを取りこぼし、料理の残りを「より少ない記録」から推測することになる、ということだった。
冷たいスタートの調理の物理を、徹底的に説明できるとは言わない。違うものでやってきた経験のなかでいちばんもっともらしい推量は、冷たい鍋は食材に、褐変の化学が始まる前の長くゆっくりとした段階を許す、ということだ。冷たい鍋に置かれたベーコンは、表面のタンパク質が縮んで丸まる温度に達する前に、皮下脂肪を鍋に放出する時間を持つ。出てきた脂は、加熱の中盤以降の調理媒体になる。つまりベーコンは、本質的に、自分の溶けた脂で浅く揚げられている状態になる。これは、ベーコンを乾いた熱い金属の上で乾ロースト気味に焼いて、脂は遅れて滴ってくる、というのとは別の調理だ。予熱した鍋に置かれたベーコンは、対照的に、熱に触れた瞬間に縮む。タンパク質の帯が締まり、ベーコンを波打つ形に丸める。脂は出てくるが、もう縮んだマトリクスから絞り出すかたちになって、一部は閉じ込められたまま残る。料理人は、まだら模様に焦げ目のついた、めくれて鍋から離れたところは色が薄い不均一なベーコンを手にする。冷たいスタートのベーコンは平らなまま残る。脂はベーコンが自分のペースで出したい仕方で出てきて、褐色はそのあと、より均等にやってくる ── 料理人が三十秒ごとにフォークでカールを押さえなくても。温度を請け合うつもりはないし、するつもりもない。百枚のベーコンの上で、結果は再現性があった、ということだけ言える。両方のやり方をやったことのある料理人は、どちらが好きかを知っている。
転機は、冷たいスタートが求めてくる「忍耐」にある。冷たいスタートの調理は、私には「最初の一分を急がない」訓練だ。料理人は冷たい鍋にベーコンを置き、火を中弱火に合わせ、二、三分そこから離れる。最初は目に見えることは起きない。ベーコンは座っていて、鍋がゆっくり温まる。やがてベーコンの下にうっすらと透明な膜が現れる ── 切片から出はじめた最初の脂だ。一分後、ベーコンの濡れた縁から小さな安定したジュッが立つが、ベーコンは丸まっていない。脂はもうその下の活性な媒体になっている。料理人はまだひっくり返していない。あと一分。ジュッが安定し、ベーコンは縁から色がつき、中心はまだ薄い ── 中心はまだ切片自身の水分に守られていて、その水分は金属の上で色になる代わりに空気の中へ抜けていく。下面の色が望むものになったところで料理人はひっくり返す。鍋は、五、六分かけて、予熱した鍋なら二分でやることをやった ── ただしベーコンは平らで、色は均等で、脂はきれいで、料理人は巻いてしまう切片の上にフォークを構えて立ち尽くす代わりに、他のことをやる時間があった。
これが大事なのは、家庭でベーコンを焼くときに最もありがちな失敗が、「教わった速さでその食材を焼こうとする、たとえその食材が遅く焼かれたがっていても」、というところに集中しているからだ。料理人は鍋を予熱する。ベーコンを置く。ベーコンは丸まる。料理人はフォークかプレスでカールと戦う。ベーコンはまだら模様に焦げる ── 一部はほぼ焦げ落ち、別の部分はまだ柔らかい。料理人は懸命に働いて、結果はぱっとしない。問題は料理人が間違ったことをしているのではない。「標準のやり方」が向かない食材に「標準のやり方」をしている、ということだ。冷たいスタートはあらゆる料理の答えではない。けれど、ある特定の問いの答えだ ── 「脂を持つ食材から、脂をきれいに出し、丸まらせずに均等に色をつけるには」── という問いの。試したことがない料理人は、その問いに別の答えがあること自体を知らない。ベーコンは私が最初に学んだ。小ぶりのブレックファストソーセージも同じ例で、熱い鍋に当たると裂ける。鴨胸肉もそうだ ── 皮を下に冷たいスタートで、皮の下の脂が出る時間ができてから皮が縮む。私が試したどの「熱いスタート」よりも、皮はカリッとし、脂はだれていない。一つでそれを覚えた料理人は、他にも同じ形が見えてくる。
注釈はあって、言っておくべきだろう。すべての食材が冷たいスタートをよろこぶわけではない。魚は冷たいスタートを望まない。接触面のタンパク質を即座にセットしなければ、ひっくり返そうとしたときに身が金属に貼りついてしまうからだ。脂を出すのではなく香りを引き出すためにソテーする野菜も、冷たいスタートを望まない。表面の水を素早く飛ばす高い熱と、すぐに始まるメイラードがほしい。ステーキも望まない ── タンパク質と非常に熱い金属の接触を即座にしなければ、クラストができる前に水分が鍋にしみ出してしまう。冷たいスタートは、私の経験では、皮下脂肪を持ち、料理人がその脂肪を引き出したい食材のための道具で、その脂肪のない食材にとっては弱い道具だ。どれもこの原則を壊さない。冷たい鍋はある特定のレッスンを教えていて、そのレッスンを持っている料理人は、いつそれを当て、いつ脇に置くべきかをよりよく選べる、ということだ。
ベーコンができた。平らで、色は均等で、きれいに溶けた脂の小さな溜まりに座っている。脂は冷蔵庫のジャーに移して、次に何かを揚げたいときのために取っておく。鍋はいま、ようやく、火を点けてから十分後に熱くなったけれど、その熱は「食材と一緒に」上がっていったもので、「食材なしに先に」上がったものではなかった。切片を網に上げて、紙で鍋を拭う。仕事はそこで終わる。冷たい鍋は先生だった。切片はその証明だ。次に同じことをやれば、同じように進むし、その次もまた同じだ。冷たいスタート ── ゆっくり時間をかけてたどりついた答えは、これからの料理人生のあいだ、私に返し続けてくれる。
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味、発酵、料理の歴史 —— 週次の短いノート。
