江戸の台所に砂糖がもたらした「甘さの民主化」
かつて砂糖は王侯貴族の嗜好品だった。江戸時代、国内砂糖生産の拡大により、庶民も甘さを手にした。この歴史的転換が現代の食卓にもたらした影響を探る。
江戸時代の日本人は、甘さをどこで感じていたのだろう。答えは意外なほどシンプルだ:米、栗、豆類——そして塩辛さの中に時おり現れる砂糖の希少な輝き。
16世紀にポルトガル人がもたらした砂糖は、長く上層階級の奢侈品だった。武家や商人の階級のみが享受できた甘さである。砂糖菓子は医薬品として扱われることもあり、その価値は金銀に匹敵するほど。庶民が「甘い」という感覚を贅沢と認識するのは当たり前の時代だったのだ。
しかし18世紀に状況は激変する。沖縄での黒砂糖生産、そして本格的な甘蔗栽培が全国に広がった。さらに寛政期には幕府が砂糖製造を奨励する政策をとるようになり、価格は急速に低下していった。江戸後期には、祭りの屋台で綿菓子が売られ、子どもたちが砂糖菓子をかじる光景が一般的になる。甘さは聖別されたものから、日常のものへ。この転換は実は、日本の食文化全体の「民主化」を象徴する出来事だったのだ。
それまで家庭の味付けは、塩辛いこと本位だった。味噌、醤油、塩——これらが立体的に働くことで、食事は成立していた。ところが砂糖が日常化すると、和菓子、おはぎ、みたらし団子といった「甘い惣菜」が生まれ始める。砂糖を大量に使う照り焼きも、この時期に家庭の味として定着していった。つまり江戸人の舌は、塩辛さ一辺倒から、甘辛のバランスへと緩やかに移行したのだ。
この甘さへの目覚めが、やがて明治以降の西洋食文化の受容を容易にした可能性もある。砂糖は単なる調味料ではなく、甘いものが日常に溶け込むことで、新しい味覚の可能性が開かれたのだ。
現代の私たちが、甘辛い煮物も、洋風のデザートも、同じテーブルで自然に受け入れられるのは、実は江戸の砂糖民主化の歴史的遺産かもしれない。あなたの食卓に「甘さ」が当たり前にあることは、かつては庶民には遠い夢だったのである。
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